市川脩の過去~現在

(2013.4.20配信)

 パーソナリティー:茂野俊哉、中村和利

 ゲストスピーカー:市川脩(GEN(株)ケアサービスGネクスト)

 

今回はゲストに市川脩さんを交えてのOpenSession♪

脳性麻痺による四肢体幹機能障害を持った市川さんの生い立ち、PCやプログラミング、障がいを持った中での学校生活、そして現在についてを聞く。 

音声は準備中!

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◆以下、市川さんから頂いた原稿◆


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OpenSessionをお聴きのみなさん、こんにちは。

はじめまして。

私の名前は市川脩と申します。

漢字で書くと「市場の市」に「三本川の川」、おさむという字が特殊でよく間違えられるんですけど、修学旅行の修の右下の三本線のところが「お月様の月」で「脩」と読みます。

まず、自己紹介をしますね。

生年月日は1982年(昭和57年)10月6日生まれで今現在ちょうど30歳の男です。

出身は東京の品川区です。現在は東京の大田区久が原で一人暮らしをしています。

障がいについてですが、母親のお腹の中から生まれたときに酸素供給がうまくいかず、すぐに「おぎゃー」という産声を上げなかったのが原因で、脳性麻痺(正確な障がい名は「脳性麻痺による四肢体幹機能障害」)で、等級は1級です。

簡単にいうと、首から下はなかなか自分の思っているように動かせません。

出生後、数年経ってから障がいがあることが診断されたそうです。

当時の担当医からは、言葉も発することができないかも、と言われていたそうですが、そこは聞いていただいてのとおり、すごくよくしゃべります。家族からはうるさいぐらいって言われてました。

幼少の頃から車いすを使用しての生活を送っています。

6歳ぐらいまでの間は障がい児の通所施設に通っていましたが、小学校に上がる前の1年間だけ地域の保育園に通いました。

この保育園は1つ上の姉が通っていた保育園だったので、先生方も面識があり、自分が入ることは理解してくれていたようで、1年間という期間ではあったけど、友達の輪を広めることができました。

その後、小中学校は地域の学校に通いました。入学前は主に教育委員会との戦いがあったそうですが、地域の障がい者の会の協力や親の熱い気持ちがあって、無事に入学できました。

正直、地域の学校に通っていなかったら、今の自分はないと思っています。

地域の学校に通ったからこそ、障がいに捉われず、いろいろな考えで明るく前向きに今日まで来られてるんだなと思っています。

自分の人生で大きく変化があったのは2002年8月、19歳(20歳目前)の夏でした。

定時制の都立の商業高校を卒業し、専門学校で情報処理を学んでいた頃です。

父親と自分が2人で旅行中に、父親が突然倒れ、急性心筋梗塞により1日の猶予もなく他界しました。

54歳でした。

それまでの間、父親が仕事以外の時間はだいたいのことを介助してくれていたので、父親を亡くしてからは残された家族や親戚、友人の協力を得て、生活してきました。

しかし、このままでは家族に負担をかけてしまい、また父親のときと同じことを繰り返さないように、日常生活の面で他人介護を依頼することにしました。

それから数年たった2009年5月に、一人暮らしの生活する道を選びました。

父親を亡くしてから徐々に、自分の将来を考えていく上で、ずっと家族に面倒見てもらうのはできないし、障がい者施設で生活することも自分の性に合わない、と思い、この生活をしていくことを決断しました。

それから4年経った今現在、大田区にある障がい者団体に所属しながら、毎日重度訪問介護という介護派遣を受けて生活しています。

活動としては、広くいろんな人に障がい者を理解してもらう内容の活動をしています。

例えば障がい者の啓発運動だったり、交通機関を使いやすくしてもらうための交渉だったり…。

ときには同じような障がいを持つ当事者の相談にのったりもしてますね。

主な活動の話はこれぐらいにして、もう少しみなさんにわかりやすいイメージを持ってもらうために、趣味の話をしますね。

趣味は、音楽聞いたり、パソコンでいろいろやったり、ゲームですかね…。

「えっ?ゲーム?」と思う人もいるかもしれませんが、障がいがあってもゲーム好きな人はたくさんいます。

自分の場合は小さい頃からゲームが好きで、よく姉や友達と遊んでました。

小学生の頃にはちょうど流行った対戦格闘ゲームもやっていて、そのことがきっかけに2年ぐらい前にひさしぶりにやってみようかな、って思って、今でもときどきやってます。

昨年の7月にはそれが功を期して、アメリカ・ラスベガスで開催された世界最大級の対戦格闘ゲームの大会に招待され、参加してきました。

結果はすぐに負けちゃいましたけどね。

参加できただけでも十分楽しめたので、いい経験をさせてもらうことができました。

これは自分にとって大きな成果だと思っていて、障がい者への理解の手段としてとてもいい方法だと思ったんです。

こういう形で一般の人の中に混じって参加していくことによって、若い人達にもこういう人もいるんだ、と簡単に知ってもらうことができるんだなって感じましたね。

今後はもっと多くの人にわかりやすい入り方で知ってもらえたら、と思っていて、イベントを企画したり、ネットのライブ配信等を企画していきたいと思っています。

以上、こんな感じの人間です。よろしくお願いします。